大判例

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東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)4号 判決

原告 大知コウ 外六名

被告 厚生大臣

主文

一  本件訴えのうち主位的請求に関する部分を却下する。

二  原告大知コウが昭和五一年八月五日付で、亡竹野ツヤコが同年七月二五日付でそれぞれなした戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号)第二三条第二項第一号及び同法第三四条第三項に基づく遺族給与金及び弔慰金請求に対する被告の不作為は違法であることを確認する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

(主位的請求の趣旨)

1 被告が戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号)第二三条第二項第一号及び同法第三四条第三項に基づく原告大知コウ並びに亡竹野ツヤコの遺族給与金及び弔慰金請求について昭和五三年三月二二日付でした却下処分を取り消す。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

(予備的請求の趣旨)

主文第一項と同旨

二  被告

(本案前の答弁)

1 本件訴えを却下する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

(本案の答弁)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告大知コウ(以下「原告大知」という。)は、昭和二〇年八月六日広島市において国民義勇隊員として公務に従事中原子爆弾に被爆し、昭和二二年八月五日死亡した大知新一(以下「新一」という。)の妻である。

(二)  亡竹野ツヤコ(以下「竹野」という。)は、新一と同じく昭和二〇年八月六日広島市において国民義勇隊員として公務に従事中原子爆弾に被爆し、昭和二二年五月二二日死亡した竹野勝一(以下「勝一」という。)の妻であるが、同女は、昭和五五年二月二日死亡し、原告把田榮子、同竹野彰、同竹野素子、同岩田純子、同竹野恭子及び同西村和子が相続により竹野の権利義務を承継した。

2  原告大知が昭和五一年八月五日付で、竹野が同年七月二五日付でそれぞれ被告に対してなした戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号、以下「法」という。)第二三条第二項第一号、同法第三四条第三項に基づく遺族給与金及び弔慰金請求についての「再審査申立書」(以下「本件申立書」という。)と題する書面による申立て(以下「本件申立て」という。)に対し、被告は昭和五三年三月二二日付の厚生省援護局審査課長(以下「審査課長」という。)名義の回答書(以下「本件回答書」という。)をもつて、本件申立てを却下する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。原告大知及び竹野はこれを不服として同年五月一日行政不服審査法第四条第一項、第六条に基づく異議の申立てをしたところ、被告は右異議申立て後三箇月を経過しても何ら決定を行わなかつた。

3  しかしながら、本件処分は新一及び勝一の死亡が原爆症に起因したものである事実を誤認した違法なものである。

(一) 新一及び勝一の被爆後死亡時までの症状は次のとおりである。

新一は、昭和二〇年八月六日、爆心地より八〇〇メートル位離れた広島市小網町において玖波町国民義勇隊の一員として広島市市街疎開作業従事中原子爆弾に被爆し、全身に大火傷を負い、頭髪は焼け、着衣も熱線のためわずかに形が残つている程度となり、全身に倦怠感があつた。被爆翌日からは起き上がることもできず、四〇度前後の高熱が続き、鼻血や耳膿が出、歯ぐきからも出血し、さらに火傷の痛みも激しく食欲は全くないうえ全身に倦怠感が強く、医師のブドウ糖、ビタミン及び強心剤の注射により辛うじて持ちこたえた。その後も頭髪脱毛、嗄声、下痢、食欲不振、全身倦怠という症状がみられ、一時は危篤状態にもなり、被爆後一箇月を経過した頃から徐々に回復に向つたものの頭痛、胸苦しさ、全身倦怠等の症状は続き、病名不明のまま国立大竹病院等に通院し治療を受けていた。昭和二二年春頃の症状としては、頭痛、食欲不振、全身倦怠、下痢、耳膿、歯ぐきからの出血、胸苦しさがあり、わずかの傷でも出血がなかなか止まらなかつたところ、同年八月一日頃胸苦しさを訴えながら倒れ、全身に赤い小さな斑点を生じ、高熱が出たりしたうえ同月五日午前一〇時頃死亡するに至り、その死亡原因は脳溢血と診断された。死亡の際注射器に抜き取つた新一の血液は黒つぽい色を呈し、臭いも被爆時の火傷の臭いに類似していた。遺体は時間の経過とともに全身の赤紫色の斑点が黒紫色に変化し、火傷の傷跡は皮膚が剥離し、触れると血液が吹き出して容易に止まらない状態で死後一日も経過しない内に遺体全体が黒紫色となつて腫れあがつてしまつた。

勝一は、昭和二〇年八月六日、大竹国民義勇隊の一員として広島市街の疎開作業に赴く途中、爆心地から約一キロメートル離れた広島市堺町天満橋東側の路上を歩行している際原子爆弾に被爆し、腹部、背中を除き全身に大火傷を負つた。被爆後二、三週間頃頭髪脱毛となり、同半年後頃には床を離れることができたが全身倦怠感、息切れの症状が続き、昭和二一年秋頃から胃腸の痛みも併発し同年暮頃から医師の治療を受けていたが症状は回腹しないまま翌二二年五月一七、八日頃突然胃痙攣の様な苦しみを訴え、同月二四日急に腹部が腫れて水がたまるという症状が出た後同月二五日正午前頃死亡するに至り、死亡原因は急性腹膜炎と診断された。勝一の遺体は紫色にはれあがり、火葬後ほとんどの骨が粉々の状態であつた。

(二) 瞬間放射線量と死亡との関係は、四〇〇レムが半致死線量、六〇〇ないし一〇〇〇レムの死亡率は八〇ないし一〇〇パーセントであるところ、新一及び勝一の瞬間被爆放射線量は次のとおりである。

新一は、爆心地より約八〇〇メートルの地点の屋外で被爆し、同人の瞬間被爆放射線量はガンマー線六八六レム(六八六ラド)、中性子一〇四四レム(六一四ラド、但しRBEを一・七とする。)の合計一七三〇レムであり、しかも一平方センチメートル当り約四八カロリーの熱線を受けて強度の火傷を受けており、従つて、瞬間放射線のみによつても致命的であるばかりか、強度の熱線による火傷の影響も死に対して相乗効果を与えているものである。

勝一も、爆心地より約一キロメートルの屋外で被爆し、同人の瞬間被爆放射線量は、ガンマー線二五六レム(二五六ラド)、中性子三二六レム(一九二ラド、但し、RBEを一・七とする。)の合計五八二レムであり、しかも一平方センチメートル当り約三三カロリーの熱線を受けて強度の火傷を受けており、従つて、瞬間放射線量のみによつても致命傷を受けているものであるばかりか、強度の熱線による火傷の影響も死に対して相乗効果を与えているものである。

(三) 以上のとおり、新一及び勝一は、被爆時の位置及び状況による瞬間被爆放射線量、被爆時から死亡時までの症状並びに遺体の状況等を総合すると、被爆により原爆症に罹患していたことは明らかである。

4  新一及び勝一の死亡原因については、死亡診断書によれば前記のとおり脳溢血及び急性腹膜炎と断定されているが、原子爆弾及び原子爆弾による放射線が身体に与える影響については現在に至るも未だ完全には解明されておらず、新一及び勝一が被爆後死亡するに至つた昭和二二年頃までは医師の間においても右影響についての知識がなかつたばかりか、同人らの死亡前に精密な検査もなく外形的な所見のみで断定されたものであるから、右死亡診断書の記載のみから、その死亡原因を確定的なものと判断することは危険である。

仮に、右死亡原因に誤りがないと仮定しても、致死的な原子爆弾の放射線量を身体に受けた新一及び勝一において右容態の変化がみられたのであつて、しかも現在では放射線が血液に影響を与えることは明らかであるところ、脳溢血は血液に関する病気なのである。また、法は戦傷病者戦没者の遺族の援護を立法目的とするものであるから、できる限り被災者の有利となるよう解釈運用すべきであり、ことに原子爆弾による放射能障害を受けた戦争被災者に対しては放射能障害が未解明であるという特徴をも考慮して「疑わしきは被爆者の利益に」という原則によつて処理されるべきであるから、新一及び勝一の死亡と原子爆弾との間の因果関係を認めるべきである。

5  従つて、原爆症と新一及び勝一の死亡との間には因果関係が認められ、右両名は準軍属である国民義勇隊員としてそれぞれ公務に従事中被爆したものであるから同人らの死亡は法第二三条第二項第一号及び第三四条第三項に規定する公務上の負傷又は疾病により死亡したものである。

6  仮に、本件回答書による回答が行政訴訟の対象となる行政処分(却下処分)にあたらないとすれば、被告は、法第六条に基づいた原告大知及び竹野の本件申立書による法令に基づく申請(本件申立て)に対し、相当の期間内に何らかの裁定をすべきにもかかわらず、いまだ何らの裁定をしないものである。

よつて、原告らは被告に対し、主位的請求として本件処分の取消しを、予備的請求として本件申立てに対する被告の不作為の違法確認を求める。

二  被告の本案前の主張

1  主位的請求について

被告は、本件申立書に関して却下処分をしたことはない。

原告大知及び竹野がなした本件申立ては、後述2のとおり法第六条に基づく被告に対する遺族給与金及び弔慰金の請求には該当せず、単に被告の職権発動を促す意味の申立てにすぎないからそれに対してなされた本件回答書の送付は右職権発動を促す申立てに対し、行政上のサービスとして審査課長の考えを明らかにしたものに過ぎず、これをもつて被告の裁定とすることはできないのである。これは、本件回答書の作成名義が審査課長名義であることやその形式が手紙文であつて裁定書としての体裁を整えていないことからも明らかである。即ち、法第六条は遺族給与金及び弔慰金にかかる権利の裁定については厚生大臣がこれを行うものと規定しているところ、この裁定権を他の行政機関に委任できる旨の法律上の根拠はないうえ、被告が右裁定に関し審査課長に代理権を与えた事実はもとより存しないから審査課長名義の本件回答書をもつて被告が法第六条の裁定を行つたとすることは到底できないのである。よつて、本件主位的請求はその対象を欠く不適法な訴えであつて却下を免れない。

2  予備的請求について

本来、不作為の違法確認の訴えの目的は申請権を与えられている者の不利益を救済することにあるから、法令に基づかない申請をした者についてはその原告適格が認められるべきでないところ、原告大知及び竹野の本件申立ては次のとおり法第六条に規定する請求とは解されないものであるから、原告らには本件予備的請求の原告適格が認められない。

(一) 法第五一条は、「この法律の実施のための手続その他その執行について必要な細則は、省令で定める。」と規定し、これを受けた戦傷病者戦没者遺族等援護法施行規則(厚生省令第一六号、以下「規則」という。)は第二五条、第三六条の二で遺族給与金請求及び弔慰金請求に関して必要な様式(遺族給与金については様式第一五号、弔慰金については様式第二二号)及び添付書類を定めており、法に基づく遺族給与金及び弔慰金請求は様式行為であるといわなければならないところ、原告大知及び竹野が提出した本件申立書は右規則の定める様式に沿つたものでないことは一見明白であり、そのままでは請求として受理することはできないものであつたところ、内容的にも後述(二)のとおり却下を免れないものであつたため積極的に補正の指導をしなかつたものである。

(二) 本件申立ては、被告に対し単に職権発動を促す意味の申立てに過ぎず法令に基づく申請にあたらない。

(1) 本件申立てのうち弔慰金請求については、原告大知が昭和二七年一二月一日付で、竹野が同二八年一月一六日付でそれぞれ被告に対してなした各弔慰金請求に対し、被告は、原告大知に対しては昭和二九年一〇月二三日付、竹野に対しては同三〇年一〇月一三日付でそれぞれ弔慰金を受ける権利のない旨の却下の裁定(以下「第一次処分」という。)を行つて通知し、原告大知の右却下処分に対する不服申立てに対しては昭和三八年一二月一六日付で棄却処分をしたところ、右第一次処分は出訴期間の経過によつていわゆる不可争力を生じ、被処分者である原告大知及び竹野において右却下処分の瑕疵を主張することはできなくなつたものである。

もし、原告ら主張のように新たな資料を添付しさえすれば再請求が可能であるとすれば、出訴期間を設けて行政上の法律関係を早期に安定させようとした行政事件訴訟法の趣旨を没却するに至ることは明らかであるから原告ら主張はとりえない。

(2) 法第二三条第二項第一号に基づく遺族給与金を受ける権利は、年金給付を受けることのできる地位とでも言うべきものであり、通常「本権」と呼ばれ、その時効は、その権利発生日(事実発生が法施行適用に先行する場合は法施行適用日、逆の場合は事実発生日)から進行し、その後七年(法第四五条)内に請求がない場合時効は完成し本権そのものが権利発生日に遡つて消滅するのであつて、いわゆる講学上の除斥期間に近い性質を有するものであるところ、原告大知及び竹野が提出した本件申立書には遺族給与金の給付を受けたい旨述べていることは読みとれるものの、右両名の遺族給与金請求権の時効は昭和三四年一月一日を始期とする七年間であり、本件申立書を提出してきた時点においては明らかにこの期間を徒過し、仮に右両名に遺族給与金請求権があつたとしてもすでに消滅してしまつていた。

また、遺族給与金を受ける権利の発生要件(法第二三条第二項第一号)は、弔慰金を受ける権利の発生要件(法第三四条第三項)とほぼ同一であるところ、原告大知及び竹野に係る事実は後者の要件には該当しないという第一次処分が既に昭和三〇年前後になされており、遺族給与金を請求したところで同様の結果がでることが予期された。

以上の理由で担当職員は、原告大知及び竹野に対し、補正を積極的に指導しなかつたのである。

三  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実について原告大知及び竹野が本件申立書及び昭和五三年五月一日付「異議申立書」なる書面を提出したこと、本件回答書が送付されたこと、並びに被告が右「異議申立書」なる書面に対し何ら決定を行わなかつたことは認め、その余は争う。

3  同3の事実について(一)のうち、新一が昭和二〇年八月六日爆心地より八〇〇ないし一〇〇〇メートル離れた広島市小網町において、玖波町国民義勇隊の一員として広島市街疎開作業中被爆したこと、昭和二二年八月五日同人が脳溢血により死亡したこと、勝一が昭和二〇年八月六日大竹国民義勇隊の一員として公務に従事中被爆したこと及び昭和二二年五月二五日同人が急性腹膜炎により死亡したことは認め、その余は不知、(二)のうち、瞬間放射線量と死亡との関係に関する冒頭部分、新一が爆心地より約八〇〇ないし一〇〇〇メートルの地点で被爆したこと及び仮に新一が爆心地から約八〇〇メートルの地点で遮蔽物がない状態で被爆し、またRBE値を一・七とした場合に新一の放射線量及び熱線については原告主張のようになることは認め、その余は不知、(三)は争う。

仮に被爆放射線量等が原告ら主張のとおりであるならば、熱量だけでも即死又は近時間中の死亡を免れない量である。新一及び勝一がその後二年弱生存したという事実から、同人らは原告主張の量程の放射線及び熱線を受けなかつたという逆の推定が成り立つのである。

また、原告主張の被爆放射線量の推計は、ABCDの業績報告書1―68を用い、熱線の推計は庄野直美氏の研究に基づくものと思われるが、これらはいずれも遮蔽物がない状態での推計であり、本件に直接適用することには無理がある。なぜなら、被爆当時の広島には建物も多く存在しており、死亡者が被爆時にどの地点においてどのような建物の内あるいは外で、どのような状態で被爆したかにより数値が大きく異なるからである。

4  同4、5の主張は争う。

仮に、原告大知及び竹野が遺族給与金を受ける権利を有していたとしても、右権利は被告の本案前の主張2(二)(2)のとおり時効期間(除斥期間)の経過によつて消滅している。

5  同6の主張は争う。

本件申立ては、被告の本案前の主張2のとおり法令に基づくものではない。

四  被告の本案前の主張に対する原告の反論

1  被告の本案前の主張1について

本件申立ては後述2のとおり、法令に基づく請求にあたるものであり、本件回答書は右申立てに対し審査課長名で原告大知及び竹野の遺族給与金及び弔慰金についての受給権の存在を否定し、その請求を却下した被告の裁定にあたるから行政訴訟の対象となる行政処分である。

2  同2(一)について

被告は、本件申立書の様式が規則所定の様式に従つていないから請求とは認められないと主張するけれども、原告大知及び竹野は弔慰金請求を一度却下されたことにより、厚生省、広島県等から何らの行政指導も得られないばかりか書類の受付さえ拒まれる状況の中での請求であつて法所定の様式は知る由もないし、様式に従うことが請求の有効要件とは考えられない。

3  同2(二)(1)について

被告は、本件申立ては既に却下の行政処分がなされて不可争力を生じているので、法第六条に規定する請求とは解されない旨主張する。

しかしながら、行政行為は、それにつき無効原因となるような重大かつ明白な瑕疵の存しない限り、一定の争訟期間を徒過するとその効力を争えない形式的確定力を生じるが、極めて特殊な例外を除きそれ以上に裁判における既判力のような一事不再理の効力までも有するものではない。従つて、行政庁に対しある行政行為を求める申請をして却下され、その処分が確定した場合でも、その当時存在しなかつた資料を新たに発見し、または新資料の提出が可能となり、あるいは事情変更が認められる場合には同一行政行為を求めるため再度の申請をすることも一般に許されると解される。これを本件についてみるに、本件申立ては、新資料を添付した再度の申請であつて、法令に基づく申請であることは明らかである。

4  同2(二)(2)について

原告大知及び竹野は、昭和三四年五月頃及び同三七年に遺族給与金及び弔慰金請求を行つている。

仮に、右各請求が規則所定の様式等の不備のため、法第六条に基づく請求にあたらないとしても、右様式等の不備は、被告が不可争力あるいは却下が予期されることの故をもつて原告大知及び竹野に対し適切な行政指導をしなかつたためであるから、被告の消滅時効完成もしくは、除斥期間の主張は信義則上許されない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  まず、主位的請求について判断する。

被告は、本案前の主張として、本件申立ては法令に基づく請求にあたらないから本件回答書の送付も行政上のサービスとして審査課長の考えを明らかにしたもので行政処分は存在せず、この点は右文書の体裁及び作成名義からも明らかであると主張する。

本件申立てが、戦傷病者戦没者遺族等援護法(昭和二七年法律第一二七号、ただし、昭和五二年法律第四五号による改正前のもの。以下同じ。)第六条に基づく請求にあたるかどうかの点はさておき、本件回答書の送付をもつて行政訴訟の対象となる行政処分といえるかどうかの点について判断する。

請求の原因1の事実並びに原告大知が昭和五一年八月五日付で、竹野が同年七月二五日付でそれぞれ被告に対し、遺族給与金及び弔慰金請求についての「再審査申立書」と題する本件申立書を提出したこと及び昭和五三年三月二二日付の審査課長名義の本件回答書が送付されたことは、当事者間に争いがない。原本の存在及び成立に争いのない甲第九、第一〇号証によれば、右各証はそれぞれ原告大知及び竹野が被告に提出した本件申立書であるところ、原告大知作成名義の右申立書には、大竹市民生経済部市民課の昭和五一年六月二一日付受付印、広島県の同年八月一六日付収受印及び厚生省援護局審査課の同年九月三〇日付の受付印が押捺されていること、並びに、竹野作成名義の右申立書にも同様に大竹市民生経済部市民課の昭和五一年七月二五日付受付印、広島県の同年八月一六日付収受印及び厚生省援護局審査課の同年九月三〇日付の受付印が押捺されていることが認められる。そうして、規則第四五条第二項によれば、遺族給与金又は弔慰金に関する請求書は、請求者の住所地を管轄する市町村長、都道府県知事をそれぞれ順次経由して、厚生大臣に提出するものとすると定められ(なお、戦傷病者戦没者遺族等援護法施行令(昭和二七年政令第一四三号、ただし、昭和五二年政令第二一六号による改正前のもの。)第一一条第一号によれば、遺族給与金及び弔慰金を受ける請求書等の受理に関する事務は厚生大臣から都道府県知事に委任されている。)、厚生省組織令(昭和二七年政令第三八八号、ただし、昭和五二年政令第七九号による改正前のもの。)第六四条、第六八条によれば、遺族給与金及び弔慰金を受ける権利の裁定に関する事務は厚生省援護局審査課においてつかさどることとされているのであるが、前記各事実に証人若山剛の証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件申立書は、規則の定めるところに則つて、大竹市、広島県を順次経由して厚生省に提出されたものであると推認される。また、原本の存在及び成立について争いのない甲第一四号証によれば、同証は本件回答書であると認められるところ、同文書は、審査課長から原告ら訴訟代理人平川浩子(原本の存在及び成立に争いのない甲第一一、第一二号証によれば、同人は、原告大知及び竹野の代理人となつて、本件申立書に関し昭和五二年四月一八日付の被告に対する申立書を提出していることが認められる。)あての昭和五三年三月二二日付の「拝啓 春暖の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。」との書出しで始まる手紙文であつて「竹野ツヤ子殿及び大知コウ殿の再審査申立書につきましては、今までにご提出いただいている資料及び新たに提出されました二つの裁判例等の資料を含め総合的に審査いたしましたが、原処分に相違ないものとの結論に達し、前処分を変更するに至るものとは認められず、お申し出の遺族給与金及び弔慰金を支給することはできませんのでご承知願います。」等の記載があることが認められ、右記載内容からすれば、少なくとも厚生省援護局審査課内においては、本件申立書に係る新資料を含めて実質的な審査を行つた結果、原告大知及び竹野には遺族給与金及び弔慰金を受ける権利がないとの結論に達し、本件回答書を送付したものであると認められる。

しかしながら、他方、法第六条、規則第二七条第五項、第三七条第三項によれば、遺族給与金及び弔慰金を受ける権利の裁定は厚生大臣がこれを行い、同大臣は、右権利を有しないと裁定したときは理由を付してその旨を請求者に通知しなければならないとされており、厚生大臣が右裁定に関する権限を審査課長はもとより他の行政機関に委任する旨の法令上の根拠は存しない。そして、本件回答書が審査課長名義の手紙文であることは前記のとおりであるうえ、被告が、審査課長に対し右裁定に関する代理権限を与えたとか、あるいは、被告が原告大知及び竹野には右権利がない旨を裁定したうえで審査課長に通知行為のみをさせた等の事実を認めるに足りる証拠はない。

そうして、前記甲第一四号証及び弁論の全趣旨によれば、審査課長としては、本件申立書が新たに遺族給与金及び弔慰金を請求する趣旨ではなく、第一次処分を職権で取り消した上原告大知及び竹野に遺族給与金及び弔慰金を支給する旨の裁定をすることを求める点、すなわち被告の職権発動を促す点にその趣旨があるものと解し、従つて被告として裁定その他の処分をする必要はないものではあるが、行政上のサービスとして、本件回答書により第一次処分の取消しの意思のないことを審査課長として表明したに過ぎないものと認められる。

以上認定したところよりすれば、本件申立書が規則により定められた方法で厚生省に提出され、同省援護局審査課内において実質的審査が行われたからといつて、裁定それ自体についての権限のない審査課長名義の本件回答書の送付をもつて、被告厚生大臣により裁定がされたと解することはできず、その他抗告訴訟の対象となる行政処分が存在したと認めるに足りる証拠はない。従つて、本件訴えのうち主位的請求に関する部分は、その取消しの対象たる行政処分が存在しないものであるから、訴えの対象を欠き、不適法として却下すべきである。

二  次に、予備的請求について判断する。

被告は、本案前の主張として、原告大知及び竹野は法第六条に基づく請求をした者ではないから、原告らには予備的請求の原告適格がないと主張する。

本来、不作為の違法確認の訴えは、法令上、私人が一定の申請事項について申請することを認められている場合において、行政庁の右法令に基づく申請に対する応答の遅延ないし不作為状態を解消することによつて、申請者の不利益の発生を防止し、その救済を図ることを目的とする制度であるから、この訴えを提起するについて原告適格を有する者は法令に基づく申請をした者に限られると解すべきである。そこで、原告大知及び竹野の本件申立書の提出が法第六条に基づく請求にあたるかどうかについて判断する。

1  まず、被告は、法第六条に基づく遺族給与金及び弔慰金請求は所定の様式によるべき行為であるところ、本件申立書は右様式に従つたものではないので法令に基づく請求とは認められないと主張する。

前掲甲第九、第一〇号証によれば、原告大知及び竹野が提出した「再審査申立書」と題する本件申立書は、「戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづく弔慰金及び遺族給与金請求についての再審査申立て」との副題がつけられた右両名の被告あての通常の卦紙に書かれた書面で、新一及び勝一の被爆から死亡に至るまでの状況、その死亡原因に対する各医師等の意見及びこの点につき審議願いたい旨が記載されていることが認められ、また、前掲甲第一四号証によれば、本件申立てに際し二つの裁判例等の資料が新たに提出されたことがうかがわれる。他方、規則第二五条第一項によれば、遺族給与金を受けようとする者は、遺族給与金請求書(様式第一五号)を厚生大臣に提出しなければならない旨定められ、右様式第一五号は、死亡した者の身分、氏名、生年月日、除籍時の本籍等その者の特定に係る事項、死因及び死亡年月日並びに死亡した者の遺族の特定に係る事項並びに遺族の他の法令による年金等の受給権の有無、種別等をその該当欄に書き込んだうえ請求者が署名押印する様式となつており、また、規則第二五条第三項によれば、右遺族給与金請求書には、死亡した者の死亡が公務上の負傷又は疾病によるものであることを認めることができる書類及び死亡した者の死亡の当時におけるその者の請求者との身分関係を明らかにすることができる戸籍の謄本又は抄本及び死亡のとき以後の請求者の身分関係の異動を明らかにすることができる戸籍の謄本又は抄本等を添えなければならないとされている。規則第三六条の二第一、二項においても、弔慰金を受けようとする者は、遺族給与金を請求する場合とほぼ同様な死亡者及びその遺族の特定に関する事項を記載し、請求者が署名押印する弔慰金請求書(様式第二二号)に、同様の書類を添えて提出しなければならないと定められている。

本件申立書の形式及び記載事項は前記のとおりであるから、右規則所定の様式に則つていないばかりか、その記載事項のすべてをみたしていないことも明らかであり、添付書類の点でもすべて規則の定めるところをみたしているとの証拠はない。しかしながら、不作為の違法確認の訴えの要件としての法令に基づく申請とは、必ずしも、適式な申請に限られると解すべきではなく、不適式の申請であつてもそれが法令によつて認められた申請権の行使にあたると解することができれば足りるものである。けだし、私人の申請が不適式なものであつても、それが法令によつて認められた申請権の行使にあたると解することができる以上、行政庁としては何らかの応答をしなければならないのであり、相当の期間内に何らの応答もしない場合には申請者の不利益の発生を防止し、その救済を図る必要があり、それがまた前記制度の趣旨にも合致するからである。

ところで、いずれも原本の存在及び成立に争いのない甲第一ないし第四号証、第三一号証の一、二、第三三ないし第四五号証、第四七号証、第五九ないし第六三号証、第七〇、第七一号証、乙第四号証の一、成立に争いのない甲第五ないし第七号証、乙第四号証の二、証人把田榮子の証言により原本の存在及び成立を認める甲第四六号証、第四八ないし第五四号証、同証人及び証人木下幸子の証言により成立を認める甲第五五号証及び第六四号証、証人木下の証言により原本の存在及び成立を認める甲第三二号証、弁論の全趣旨により原本の存在及び成立を認める甲第六五号証並びに証人吉田マサ子、同若山剛、同把田榮子及び同木下幸子の各証言によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、原告大知及び竹野は、第一次処分により弔慰金の請求を却下された後も、国民義勇隊員で新一及び勝一同様被爆した者の遺族で大竹市内に居住する長岡セツ、越水マサヨ及び松本綾子らとともに、大竹市役所職員村田チエコ、若山剛及び同市会議員吉田マサ子らの世話のもとに、昭和三四年頃から同五一年頃にかけて、弔慰金ないし遺族給与金の請求に関して、大竹市ないし厚生省に対し、申立書等の書類を提出していた。これに対し、厚生省あるいは広島県民生部の係官から、支給の可否についての処分の伝達はないままとなつていたが、本件申立書も右の経過のもとに大竹市長、広島県知事を経由して被告に提出されたものであつた。なお、その間原告大知及び竹野は、被爆放射線量や新一及び勝一の病状等に関する新たな資料を添付提出し、かつ、昭和四八年八月及び昭和五一年八月には大竹市長名義の特別の配慮を要請する副申書が同じく添付提出されているものと思われる。以上のとおりの事実を認めることができ、この認定を左右するような証拠は存在しない。

以上認定の事実に基づいて考えるのに、本件申立書は、提出に至るまでの前示の経過及びその標題、副題及び内容の記載からして、原告大知及び竹野の遺族給与金及び弔慰金を受ける権利の裁定を求める意思が表明されていると解することができるのはもちろんであつて、法第六条によつて認められた申請権を行使したものと解するのが相当である。被告は、本件申立書の趣旨が第一次処分の取消しについての職権発動を求める趣旨に過ぎないと主張するけれども、前記認定に係る第一次処分後から本件申立書の提出に至るまでの経過からしても、そのように解するのは適当ではないのみならず、第一次処分は遺族給与金請求についてはこれを処分の対象としていなかつたのであるから、この点からいつても、被告の主張は理由がない。

2  次に、被告は、本件申立てのうち弔慰金請求については原告大知及び竹野には弔慰金を受ける権利がない旨裁定した第一次処分が不可争力を生じているからその瑕疵を主張することはできないと主張する。

しかしながら、一般に不可争力とは、出訴期間等の経過により行政行為の相手方がもはや当該行政行為自体の効力を争いえなくなる効力であると解されているところ、それ以上に、以後、当事者が当該行政行為によつて定められた法律関係の内容に反する主張ができなくなるという効力をも意味するものではない。一般に、有効な行政行為は出訴期間等が経過すれば、右の意味における不可争力を生ずるものであるが、それ以上に例外的場合を除いては裁判における既判力のような効力は生じない。けだし、裁判における既判力のような効力は、独立した第三者機関が当事者の手続への参加、上訴審制等の慎重な手続に基づいてした争訟の裁断等について例外的に認められるべき効力だからである。従つて、右裁判における既判力のような効力を有しない通常の行政行為は出訴期間等が経過した後であつても濫用等にわたらない限りは、先の不可争力を生じた行政行為の内容に反する再申請をなすことも許されると解するのが相当である。そしてこのように解すると、出訴期間を設けて行政上の法律関係を早期に安定させようとした趣旨に反するようにもみえるが、これは行政行為が前記のように既判力のような効力を有しない以上やむをえないことである。

本件第一次処分にはその決定方法等からして既判力のような効力はなく、かつ、原告大知及び竹野の本件申立てが権利の濫用にあたるとの主張も、それをうかがわせる証拠もない本件においては、右両名の本件申立ては許されるというべきであるから、被告の前記主張は理由がないといわざるをえない。

3  さらに、被告は、本件申立てのうち遺族給与金請求については、仮に原告大知及び竹野に右請求権があつたとしても本件申立書を提出した時点においては時効が完成しすでに消滅してしまつていたから法令に基づく請求とは認められないと主張する。しかしながら、右時効消滅の有無は、遺族給与金請求権の有無という実体的判断の問題であるから、仮に右請求権が時効消滅していたとしても、前記不作為の違法確認の訴えの制度の趣旨にてらし法令に基づく請求と認められなくなるわけではないことが明らかである。

従つて、本件申立書による本件申立ては、「法令に基づく申請」にあたるものと解すべきであつて、被告の主張はいずれも理由がない。

4  原告大知及び竹野の本件申立てに対し、被告が何らの裁定を行つていないこと及び右申立て後相当の期間が経過していることは弁論の全趣旨にてらし明らかであるから、右両名の本件申立てに対し、被告が相当の期間内に何らかの裁定をすべきにかかわらずこれをしないことは違法というべきである。

5  以上の次第で、本件訴えのうち主位的請求に関する部分は不適法であるからこれを却下し、予備的請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田耕三 原健三郎 揖斐潔)

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